やっぱり干柿は。。。。

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    今朝の朝日新聞「福島版」

     

    柿の加工自粛6年連続要請

     

    ことしもやっぱり出てしまいましたね。

    伊達市の干し柿2検体から、

    130ベクレル/kg

    140ベクレル/kg

    が出たとのこと。

    まあ、干し柿だからこうなってしまうという

    というわけではあるけれど、

    そもそも柿の中に放射性物質が存在するわけで、

    干し柿にする前の柿を食べたとしても、

    柿一個をまるまる食べれば、

    同じ量の放射性物質を体内に取り込んでしまうわけです。

    つまり、

    検査にひっかからない柿であっても、

    放射性物質を含んでいる

    ということですね。

    あたりまえですけれど。

     

    みなさん、気をつけましょう。

     

    ちゃんと検査していない柿は

    むやみに人にあげないように。

    人からもらわないように。

     

    こんなこと言うと

    風評を広げるな

    とか言われたりするんだろうけれど、

    あるものをあると言うのが正しいのか、

    あるものをないと言うのが正しいのか、

    あるものをあると言って風評と言われるのか、

    あるものをないと言って風評と言われるのか、

    そういうことを考えなくちゃね。

     


    天皇陛下のお言葉

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      某月某日


      手抜き除染問題は相変わらず。
      環境省も、手抜き情報を持っていながら放置していたとか。
      まあ、そんなところでしょう。
      ここにも原子力村が存在していた。
      というか、どこもかしこも原子力村。
      まずは、その原子力村を除染しろよ、ってところだろうか。

      さて、それでも、まあ、悪いことばかりではない。

      やっぱりわれらが天皇陛下。

      この人の言葉だけは、いつ聞いても、心が救われる思いがする。
      べつに右翼じゃないよ。
      でも、ほんとうにふつうの人びとの気持ちを汲み取ろうとしているのがわかる。
      それがわずかな救い。

      というわけで、天皇陛下の年頭のお言葉。


      東日本大震災から2度目の冬が巡ってきました。放射能汚染によりかつて住んでいた地域に戻れない人々や,仮設住宅で厳しい冬を過ごさざるを得ない人々など,年頭に当たって,被災者のことが,改めて深く案じられます。今後,震災や津波による被害の経験を十分にいかした防災教育やまちづくりが行われ,人々の安全な生活が確保される方向に向かうよう願っています。

      日本は,大震災の影響等により,現在厳しい状況に置かれていますが,皆が被災者に心を寄せつつ,互いに支え合って様々な困難を克服していくよう期待しています。

      本年が,我が国の人々,また,世界の人々にとって少しでもより良い年になることを祈ります。

      天皇陛下はいつでもそうだけれど、
      まず最初に必ず、被災された方々、一番弱く苦しんでいる方々へのいたわりの言葉から入る。
      そしてその苦しみを和らげる政策政治を求める。
      さらに、経済のことついては一切触れない。

      あ〜、と思うよ。
      この人が一番弱い人たちに寄り添っているよ、と。

      どうして政治家はこういう気持ちを持てないんだろうね。
      こういう気持ちを持ってくれさえすれば、我々も大いに敬意を表すし、
      協力も惜しまないだろうに。

      私たちも、この天皇陛下の姿勢に習って、
      もっともっと震災のこと、これからの日本のことを考えなくてはいけないと思いますね。




      南海トラフと防波堤

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        某月某日


        夕方7:00のNHKニュース。

        南海トラフ地震が起きたときに備えて、
        海岸の防波堤が、その地震に耐えられるかどうか、
        検査が行われていない家書が多数ある
        と伝えていた。
        そして映像では、大分県の佐伯市が映し出されていた。

        これを見て、あれ?と思った。

        まあ、たしかに古い防波堤であることは確か。
        大きな地震が来たら崩れてしまいそうだな、という印象はある。
        いくらコンクリートでつぎはぎしても
        壊れるものは壊れるだろうな、と容易に思われる。
        ただ、いかんせん高さが。
        2メートルか、よくて3メートルか。
        これじゃ、地震に耐えられても
        大きな津波にはとても歯が立たないと思うんだけど。
        耐震対策が、などと言っている場合じゃないと感じた。
        それとも、
        東日本大震災の時のあのくらいの津波は来ない
        という想定なんだろうか。
        しかし、だとしても、その想定が間違うということもあり得る。
        そうなったときにはどうするんだろう。

        あの映像を見ながら、
        もはや耐震対策がどうのこうのと言ってる場合じゃないよ
        逃げるしかないよ、
        逃げる道をちゃんと確保しておかないと
        とんでもないことになるよ、
        そう思ったなあ。

        NHKだって、ほんとはそういうことを言うべきだと思うんだけど、
        報道というのは、ほんとのことを言ってはいけない機関なんだろうか?

        実に疑問に思うばかりだ。





        お弁当

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          某月某日


          先日線量計を借りたついでに、
          愚息が通う幼稚園の測定に行ってみた。
          園長先生に電話で確認し、
          あちこちを測定。
          幸いにも、それほど高い数値ではないのが救い。
          しかし、それだって、教室は通常の2倍。
          外は通常の10倍はある。
          園庭の土はもっと。
          低いといっても、高いのだ。

          地面に測定器を近づけると、すーっと数値が上がる。
          それをみて先生方はこう言う。
          「あ〜、まだこれじゃ、外の散歩はむずかしいね。
          外に出しておいて、これとっちゃダメ、あれ触っちゃダメ、なんて子どもたちがかわいそうだし、
          先生方だって、つらいよねえ。」
          ほんとうに、幼稚園の先生方の苦労に頭が下がる。

          測定が終わって園長先生と談話。
          この4月から、避難所から通う子がけっこう増えたとのこと。
          自分も、わずかではあるけれど、避難所の様子を見たので
          その大変さが想像できた。
          で、
          「そうですか、避難所から通ってるんですか。
          あれ、食生活が大変ですよね。
          ときどき炊き出しがあったにせよ、
          基本的には、おにぎりとか菓子パンばっかりですもんね。
          今は少しは改善されてるかもしれませんが…」
          というと、園長先生はこう言うのだ。
          「いや、それがそうでもなく、今も同じようなもんなんですよ。
          この間、お母さん方に聞いてみたら、やっぱりそんな感じでした。
          でね、うちの幼稚園は、週の2日がお弁当ですよね。
          ですから、それをお母さん方に強いるのがつらいですね。
          といって、どうしようもないし。
          子どもたちのお弁当は、ですから、白いおにぎりだけなんですよ。
          あんまりかわいそうなんで、
          事務担当のNさんがおかずを作って持ってきてくれるんですが、
          また、それを子どもたちが、おいしいおいしいって言って食べるんですよ。
          それが、うれしいんだか、悲しいんだか。
          なんだかつらいですね。」

          避難してきている子どもたちは、もちろん原発被災者である。
          なぜ、この子どもたちは、こんな目に遭わなくてはならないんだろう。
          彼らに何の罪があったというのだろう。
          このうえに、なお、20ミリシーベルトの問題があり、
          被曝という現実が、毎日じわじわと圧迫しているのである。

          頃合いを見計らって、おいとますることとした。
          外は新緑が美しい。
          しかし、帽子をかぶって、
          薄手のウインドブレーカーを羽織り、
          そしてマスクをする。
          被曝予防のためであるが、
          あらためて、自分という人間が、この自然の中の異物のように感じられた。


          実際に放射線を測定してみると

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            某月某日


            職場から放射線測定器を借りだしてきた。

            はかるくん



            γ線測定専用器だが、β線は体を通過しないので、とりあえずはこれでだいたいの見当はつくはず。

            で、実際に測定してみた結果は以下の通り。
            単位はμsv/h。

            自宅 庭 0.55〜0.60(地上1メートル)
            自宅 庭 0.85〜0.90(地上1センチメートル)
            リビング 0.17〜0.18
            和室   0.15〜0.16
            玄関   0.09〜0.11
            2階   0.18〜0.22

            この結果から分かったことがいくつか。

            まず、自宅周辺は思ったよりも放射線が少なかったこと。
            公式の福島市測定値が1.50前後なので、およそ3分の1程度。
            放射性物質がいかにまだらに拡散しているかがわかる。
            数値の高低はまさに風まかせ、雨まかせだったということになる。

            それから、建物の中の数値も、外の約3分の1ということ。
            うちの場合はごくごくふつうの木造。
            木造の場合は鉄筋よりも高くなるとは分かっていたが、
            どの程度のレベルなのかが分からなかった。
            おそらく一般的な家屋の場合は、約3分の1と考えて良いかもしれない。
            ただし、窓際の数値は高い。
            内側が0.17ぐらいだとすると、
            窓際は0.22ぐらいにはあがってしまう。
            たぶん放射線が外から窓ガラスを貫通して入ってきてしまうのだろう。
            そういうことも、実際に測ってみて分かることだった。

            さらに、地面の数値。
            地面は、もちろん場所によるけれど、やはり高くなる。
            約2ヶ月近く経っているので、もう放射性ヨウ素はほとんどなくなっているはずだから、
            地面から放射線を出しているのは、セシウムなどの半減期の長い放射性物質だろうと考えられる。
            これが、地面にうようよしていて、
            それが測定値を高めているのではないだろうか。
            とすれば、いろんなことが考えられるけれど、

            1.今後はなかなか数値は下がらないだろう
            2.子どもたちが土いじりするのはちょっと危険ではないのか。
            3.とくに、間違って口に入れたりすると内部被曝になりかねない。

            ということは言えると思う。

            地上一メートルがかりに0.5だとしてみると、
            おそらく地面では0.8〜1.0ぐらい。
            で、通常値が0.05だから、実に16倍から20倍の数値。
            まあ少し譲って、0.1を通常値にしても、8倍から10倍。

            ただし、福島市の場合、大気中の0.5μsv/hという数字は、かなり低い部類。
            今日の新聞では、渡利中学校の校庭が3.9μsv/h(地上1メートル)。
            国道4号線から東側、
            また日赤病院から北側がやや高めに出る傾向がある。
            それにしても3.9という数字は高い。
            これ、地表だとどれだけの数値になるのか。
            そして、この数字はすでに計画的避難区域レベルの値のように思える。
            なぜ、こういう状態が放置されいるのかが謎で仕方がない。

            ところで、福島市内から会津にかけて、この測定値を使って調べてみた。
            車の中で測定した数値が多いので、正確な数字ではないけれど、
            参考までに。
            いやあ、同じ福島県でも、山を越えただけでもこんなに世界が違うとは…。


            福島市黒岩スポーツゼビオ付近 0.5〜0.7(歩道にて)
            福島市荒井クリニック付近    0.4
            土湯温泉付近            0.15(車内)
            115号線土湯トンネル直前    0.12(車内)
                  土湯トンネル内     0.09(車内)
            115号線裏磐梯への分岐あたり  0.14(車外)
            49号線猪苗代湖わき        0.09(車内)
            会津若松入り口付近         0.11(車内)
            会津中央病院付近          0.11(車内)
            会津若松コジマ電気         0.14(駐車場)
            会津若松コジマ電気         0.07(店内)

            車内の数値は、実際に外で計測するよりも若干低く出ます。
            車内で、0.12だとすると、車外では0.14〜0.15ぐらいの感覚。

            せめて会津若松ぐらいの数値に、
            早く福島市も下がって欲しいのだけれど。


            リクエスト

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              某月某日


              土曜朝、NHKFMでやっている音楽番組にメッセージとリクエストを出す。

              今はメールでリクエストを受け付けているので、以前に比べて気軽に送ることができる。
              しかし、今回は震災後のメールでもあり、少々文面を考えてしまった。

              で、以下の文章を添えてリクエストを送る。


              「いつもこの番組でかかる音楽を楽しみに聴いています。とくに、あの3月11日以降、やや安易ではないかと思えるような応援ソングを耳にすることが多いので、なおさらこの番組の価値が際だっているように感じます。
              さて、私の住む福島市は、地震による被害は他に比べて比較的軽微だったように思います。しかし、3月15日の原発の爆発以降、60キロメートル離れたこの福島市においても、放射線測定値が急上昇し、また、水道水にも放射性物質が検出され、市民を一気に不安に陥れました。それから一ヶ月過ぎた現在は数値がある程度は落ち着き、「ただちに健康に害はない」と胸を張って言えるくらいにはなりました。とはいうものの、その値も通常の30倍以上はあります。さすがに小さな子どもをのびのび外で遊ばせ、自由に土いじりさせることははばかられる状態です。当たり前の話ですが、きれいな空気、きれいな水、きれいな土、というものは決して失ってはいけない生活の土台だと痛感させられました。そして、改めて広島や長崎、チェルノブイリで被害にあった人たちの苦痛に思いを寄せているところでもあります。あるいは、長らく白人の支配にあって苦しめられてきたアメリカ南部の人たちのことなども考えます。
              今さまざまなところで避難生活を強いられている人たちが、数多くいます。そのような方々が一日も早く避難解除される日を願ってやみません。」

              リクエスト
              アーティスト Keb'mo
              アルバム「Peace Back By Popular Demand」から
              「Someday We'll All Be Free」 

              …と、送信ボタンをクリックすると、
              「400字以内でまとめてください」と指示を出された。
              くそ〜!
              機械に指示されてたまるか!
              と怒ってみたところで始まらないので、早速改稿。
              とりあえず、こんな感じに。



              「いつもこの番組でかかる音楽を楽しみに聴いています。さて、私の住む福島市は、地震による被害は比較的軽微でしたが、3月15日以降、放射線測定値が急上昇し、また、水道水にも放射性物質が検出され、市民は一気に不安に陥りました。現在はある程度は落ち着き、「ただちに健康に害はない」と言えるくらいにはなりましたが、その値も通常の30倍以上はあります。さすがに小さな子どもをのびのび外で遊ばせ、土いじりさせることははばかられます。当たり前ですが、きれいな空気、きれいな水、きれいな土、というものは決して失われてはいけません。そして、改めて広島や長崎、チェルノブイリの苦痛に思いを寄せてみたりします。あるいは、長らく抑圧されてきたアメリカ南部の人たちのことなどにも。今なお避難生活を強いられている人たちが、数多くいます。一日も早い避難解除の日を願ってやみません。」 

              ケヴ・モ

              アーティスト Keb'mo
              アルバム「Peace Back By Popular Demand」から
              「Someday We'll All Be Free」 



              ちょっと毒が消えてつまらなくなってしまったのが残念だが、
              字数制限に負けた、というところである。

              しかたないので、このブログに掲載するのである。

              しかし、果たしてリクエストはかかるかどうか…。



              菅直人と内橋克人

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                某月某日


                テレビで、菅総理が福島に来て、知事と会談したというニュース。

                原発から20キロ圏内を警戒区域にすることやら、
                計画避難区域のことやら、
                風評被害のことやら、
                賠償のことやら、
                とにかく問題は山積。
                まだ、始まったばかりだという感じだ。


                内橋克人著「規制緩和という悪夢」(文春文庫)を読み始める。
                いまなぜ「規制緩和」なのか。
                とくに他意はなく、
                先々週のNHK「日曜討論」で内橋氏が出演されており、
                その中での発言や堂々とした姿に心を打たれたからだ。
                早速古本屋に出かけて探したら、これがあったという次第。

                「日曜討論」で、原発事故について討論していたとき、
                ある論者(その方は規制緩和推進派だった)が、こういうことを述べたのである。
                「今回の原発事故の背景には、電力会社が電力を独占していたというところに問題があって、
                これは、原子力以外の電力に関しては規制緩和をして、
                他の企業が自由に参入できるようにして、
                原子力に関しては、国が管理をするというふうにすべきである」

                ところが、内橋氏は非常に堂々と、しかし、声はやさしくかつ威厳をもって、
                「いや、この原子力発電というのは、国策として国が推進してきたものであって、
                規制緩和の問題ではない。
                国がみずから行ってきた政策への根本的な反省というものがなければ、
                全く意味がない。
                そこは出発点をはき違えるべきでない。」
                ときっぱり述べたのだった。
                お〜!っと思った。
                この人は腹の底から怒っている、と感じた。
                この人の言葉なら信じられる、そう直感した。

                「規制緩和という悪夢」を読みだすと、予想通り。
                いかにこの政策がでたらめで、
                まったく根拠がないもので、
                一般市民を苦しめてきたものかということが分かる。
                また、メディアもほんとうのことを報道しようとせず、
                規制緩和を押し広げてきた、と批判する。

                「政治経済の分野にとどまらず、
                ひろく消費者、一般勤労者、市民の日常に対して、
                強い影響を与えるほどの国家的選択がなされようとするとき、
                必要とされるのは、
                公平で偏りのない情報公開、
                それを可能にするメディア、
                開かれた議論の場、
                当事者も含む市民の側からのオルタナティブ(もう一つの選択肢)の提示、
                それらを経て最終的選択は国民が行うことを可能にする、
                新しい、より民主的なシステムである。
                それら最低限の必要条件を欠いたまま、
                その自覚さえもなく、
                規制緩和一辺倒でくりひろげられてきたのが、
                日本の政治的決定と
                新聞、テレビの報道である。」(134頁〜135頁)

                この中の一語「規制緩和」を「原発推進」に代えるとどうだろう。
                まったく当てはまる、と思わないではいられない。
                内橋氏の基本的なスタンスが、びしっと伝わってくる一節だった。

                ところで、内橋氏は原発関連の本も書かれている。
                「原発への警鐘」(講談社文庫)が既刊であるが、
                いま、これが「日本の原発、どこで間違えたのか」というタイトルとなって
                復刻されたようである。
                さっそくアマゾンで注文。
                とにかく、実にクールで、魂のこもった評論家、いやジャーナリストと感じた。
                これから、ほかの著書にも当たってみようと思う。

                ところで、話は菅直人氏にもどるが、
                菅政権は、こういった今の悪しきシステムから、
                新しいシステムへの脱却をはかれるような方向を示すことができるかどうか、
                そこがこれからのポイントになるのではないかとみた。
                内橋氏は日曜討論の中でこう述べていた。

                「これからは、町の復興ももちろんありますが、
                いかに人間を復興できるか、
                人間の復興が課題だと思います。」

                「人間の復興」か。だとすれば、
                これは一人一人の誰もが覚悟を決めなくてはならないことだろうとも思う。


                追記

                こんなブログの頁があったので、紹介します。
                原発事故に関する内橋氏の発言を要約したものが掲載されています。


                http://nicoasia.wordpress.com/2011/03/29/%E5%86%85%E6%A9%8B%E5%85%8B%E4%BA%BA%E3%80%8C%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%8B%E3%81%AB%E3%81%97%E3%81%A6%E4%BD%9C%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F/


                パトカーの大群

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                  某月某日


                  雨、今日の環境放射能測定値はどうなるだろう。

                  疎開していた妻子を迎えに那須塩原駅に行く。

                  いよいよ学校が始まるから、
                  それに間に合わす形で戻ってくるというわけだが、
                  先日の余震のでかさにはちょっとたまげたし、
                  まだまだ原発はくすぶったままである。
                  環境放射能測定値は上がりこそしないものの、
                  2マイクロシーベルト付近を行ったり来たりしている状態。
                  なんとも煮え切らない感じ。

                  学校を始めるにしても、
                  いまの原発の状態や測定値の状態を
                  教育委員会がどのように受け止め、
                  どういう意図のもとで新学期に入り、
                  どのような点に留意して学校生活を送らせようとしているのかが
                  全くアナウンスされない。
                  そこにかなりの不信を抱くのである。

                  結局、政府がはっきりしないから、とか
                  文科省がやれと言ってるから、とか
                  上のせいにしてごまかそうとしているのだろうか。

                  しかし、どこかで誰かが身をもって責任を持ち、
                  生身の言葉でみんなに説明し、
                  理解を求めることは必要なことではないだろうか。
                  もちろん反発もあるだろうし、異論も多くあるだろう。
                  でも、これこれこういう考えで学校をはじめさせたいんです、
                  という生身の言葉が聞きたい。
                  その生身の言葉だけが、この危機の状態を乗り切るもっとも大事なものだと思うのだが。
                  そうすれば、それに受け止めて、いっしょにこの難局を乗り切っていこう、
                  とう気持ちになれるのだが。

                  いま、このときに至っても、
                  なお、官僚体制、お役所根性が
                  教育委員会の姿勢に非常に強く感じられるのは非常に残念である。


                  ちょっと時間に余裕があったので、郡山のハードオフによって、
                  30分ほどプアオーディオ。
                  いいなあ、と思わせるものが2機あった。
                  値段的にもまあ手頃。
                  しかし、そのどちらもいま手元にあるメカで十分間に合っているので
                  とりあえずスルー。

                  郡山南ICから高速に乗る。

                  ちょっと時間がぎりぎりになりそうだったので、すこし飛ばす。
                  ただ、地震の影響でかなり道に凹凸がある。
                  全体がゆがんで波打っているところもあった。
                  下り坂で、急に段差になっているところもあり、
                  ジェットコースターみたいになるところもある。
                  しかし、福島県を出るとだいぶ普通の状態に戻る。
                  まさに白河の関を境にして、という感じだった。

                  ガソリンはまだ十分にある。
                  県外で福島ナンバーへの給油が断られていると聞いていたので、
                  事前に満タンにしておいたのだ。
                  こんなことにも気を配らなければならない情けなさ。

                  途中、対向車線を福島方面へパトカーが何台も列をなして走っていった。
                  「なんかあったのかな?」
                  と思いながら、すこしスピードを緩める。
                  こんなところで違反で捕まってはしゃれにならない。

                  那須塩原で妻子を拾って、無事福島までもどる。
                  戻ってきたとき、雨は上がっていた。

                  夕方のテレビのニュースで、
                  農水省大臣と経産省大臣が福島にやってきていたことを知る。

                  「あ〜!」

                  と思わず声を出してしまった。
                  あのパトカーは、この人たちだったんだ。

                  ちいさな余震がある。
                  大きな余震はまだいまのところは来ていない。







                  トイレのリスクヘッジ

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                    某月某日


                    内田樹氏のブログを読む。
                    タイトルは「リスクヘッジについて」。http://blog.tatsuru.com/
                    その中で、こんな内容の一節があり、納得。
                    ほんとうにそうだと思う。

                    内田氏は地震が起こってすぐに「疎開論」を提起していたのだけれど、
                    それに対して、それを撤回するような声が多数寄せられたのだという。

                    以下は引用。(というかコピペです)

                    「私のところへ「疎開論を撤回せよ」という声が集中的に寄せられた。
                    理由は「首都圏からの疎開」が大規模に実施されると、ただでさえ低迷している消費活動が鈍化し、日本経済に悪い影響を与えるからだという。
                    なるほど。そういう考え方もあるのか。

                    おっしゃるとおり、日本経済は東京一極集中構造である。
                    東京での経済活動が低迷すると、列島全体が地盤沈下するように制度設計されている。
                    現に、石原慎太郎も東国原英夫も「東京が日本を牽引しなければ、日本に未来はない」という、似たような言葉づかいで首都の重要性を強調していた。
                    だが、一都市が機能停止すると、国家全体が機能停止するようにシステムが設計されているとすれば、それは制度設計そのものが間違っているということである。
                    東京がシステムダウンしても、列島全体としてはただちに「東京抜き」でも社会システムが継続できるようにシステムは設計されるべきなのである。
                    リスクヘッジというのは「そういうもの」だ。

                    今回の原発事故で私たちが学んだ(と過去形で言えるとよいのだが)もっともたいせつな教訓の一つは、私たちの国のエスタブリッシュメントは「リスクヘッジ」ということの重要性をあまり理解していない方たちだったということである。」

                    リスクヘッジという言葉は、もともとは株式用語のようであるけれど、
                    今回の震災ほどその重さを痛感させられたことはない。
                    原発災害が、今の日本のリスクヘッジの欠如を象徴しているのだとすれば、
                    そのほかにも、形は違えど、似たような例がボロボロこぼれてくるだろう。
                    これを機に、効率優先の一極集中を避け、
                    分散型の制度設計に、政府だけでなく、市民も積極的に関わっていく必要があるかもしれない。
                    そしてそこには市民として責任を負う、という意識が必要になると思う。


                    ところで。
                    効率優先一極集中の弊害ということについては、我が家でも議論された。
                    地震の影響で福島市ではしばらく断水が続いたのだが、
                    最新型のトイレがまったく使えなかったのである。
                    そのトイレは、タンク不用の、すっきりとしたデザインで、
                    タンクがないせいで、冬季の結露などもほとんどなく、
                    また節水型なのでエコにもよい、ということで、震災前には大活躍していたのだった。
                    ところが、いざ断水になってみると、
                    バケツに汲んだ水で流し込もうとしても、
                    一向に流れないのである。
                    で、じいちゃんが排泄してしまったものが(これがけっこう大きかった!)
                    ぷかぷかと浮遊しているという状態が断水解除になるまで続いたのだった。
                    結局、みんな2階の古いトイレ(タンクがついている普通のもの)を使って
                    リスクヘッジした、という次第。
                    みんなの共通意見は、
                    「やっぱり新しいものだけじゃだめだね。」

                    他にも、この震災を機に見直したものはたくさんある。

                    普通の公衆電話
                    乾電池式ラジオ
                    石油ストーブ
                    自転車

                    などなど。

                    ハイテクだけじゃなくて、ローテクも活用して
                    共存共栄できるようになるといいなあ、と。


                    震災に救われる話

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                      某月某日


                      相馬に行ったついでに、Sさんの遺影に会いに行く。

                      Sさんは2年前に事故で亡くなって今はもういない。
                      そしてその事故というのも、あまり人には大きな声でいうことができない事故だ。
                      Sさんは以前からいろいろな悩みも多かったし、
                      それによって現実生活がままならない時期もあったと聞いていた。
                      しかし、その事故は、そういったトラブルが少しずつ良い方向に向かっている
                      (ように見えていた)ときに起きた。
                      家族は皆自責の思いにものすごく苦しんだ。
                      昨年の一年祭でも、皆がSさんの遺影を前に、
                      自分たちに何もできなかったことを悔やんだ。

                      Sさんの家は、津波の被害からは遠いところにあった。
                      しかし、地震による被害はすくなからずあった。
                      屋根の瓦はところどころずれ落ち、
                      石塀もきれいにばったり倒れてしまっていた。
                      チャイムを鳴らすと、Sさんのお母さんが出てきてくれた。
                      この地震でもみな元気だったようだ。
                      こたつに座りながらさっそく地震のときの話になった。
                      Sさんの遺影を飾った祭壇はばたんときれいに倒れ、
                      位牌もどこかにすっとんでしまっていた。
                      遺影もももちろんどこにいったのかわからない状態だった。
                      このままでは大変だと思い、すぐに位牌を探し、
                      非常食などと一緒にリュックに詰めて、
                      どこに行っても位牌だけは肌身離さず持ち歩くようにしていた、
                      とお母さんは言った。そして、
                      「今は、余震もだいぶおさまってきたので、ついこのあいだ
                      祭壇もきちんときれいにして、位牌もそこに納めたんですよ。」
                      と言うのだった。
                      話は、津波のひどさ、原発の事態の深刻さなどにも及んだ。
                      ただ、Sさんのお母さんはこういうのだった。

                      「実は、こういうことは人前では言えないんですが、
                      私自身は、この震災で救われたという気がするんですよ。
                      そりゃ、もちろん、怖い思いもしましたし、
                      それから、今だって原発がどうなるかわかったものじゃない。
                      これから季節は暖かくなってきます。
                      風が南から吹くことが多くなります。
                      そうすれば、この相馬だって、今、測定値が低いと言っても、
                      またどうなるかなんて誰にもわかりません。
                      それでも、救われたなあ、と思えるのは、
                      Sがこの震災を知らずに向こうに行ってくれたと思えるからなんですよ。
                      この惨状を、この恐怖をもし知っていたら、
                      Sはもっともっと心を病んだと思うんですね。
                      だいたい、生きているうちから、Sは原発をおそれていたんですよ。
                      いつどうなるかわからないから、と不安がるときもたびたびでした。
                      ですから、今のこの不安というか、悲惨な状況を見ていたら
                      もっともっとSは心を痛め、
                      それと同時に私たちも苦しんだんじゃないかと思うんです。

                      それから、今私はボランティアで被災者の方を支援していますが、
                      もちろんたいしたことなどできませんが、
                      いろいろと話を聞くと、
                      今回の震災で
                      市の職員の方々の中でも苦しんでいるようです。
                      市の職員も津波の被害に遭って、すくなからず亡くなっているんです。
                      たとえば、土木課長などは、地震の後に部下に命令して、
                      道路の通行止めを指示したのですが、
                      その部下が津波にのまれてしまった。
                      一人は発見されましたが、もうひとかたは発見されていません。
                      土木課長さんも苦しいでしょうね。
                      発見されていない方は、まだお子さんが小さいそうです。

                      ある校長先生もそうですね。
                      地震の後、生徒を校庭に集めたそうです。
                      で、すぐに保護者に連絡し、来てもらえる方には来てもらって、
                      それぞれ避難してもらうように指示したのですね。
                      しかし、その小学校は高台にありました。
                      保護者に来てもらえなかった子どもは助かって、
                      保護者と一緒に帰ったこどもは津波にのまれてしまった。

                      ほんとに、こういうと人からしかられるようですが、
                      我が子が亡くなったときは、苦しかったのですが、
                      いまこうして震災が来たおかげで、
                      ああ、こうして苦しんでいるのは自分だけじゃないんだと腑に落ちてきたんです。
                      今苦しんでいるひとには申し訳ないんです。
                      今も、そういう方とすれ違うだけで、
                      なんと声をかけたものかと悩んでしまい、
                      結局声もかけられずに終わってしまうということもあります。
                      でも、それと同時に、
                      ああ、きっと私がSのことで苦しんでいたとき、
                      みんなこういうふうに私たちのことを思っていてくれたんだな、
                      と想像できるようになったのです。
                      決して私たち家族を遠ざけようとしていたのではなく、
                      そのつらさに、同じように身を切るような思いでいてくれたから、
                      言葉がかけられなかったんだな、と。
                      ですから、変な話なんですが、
                      この震災は私を救ってくれたような気がするんですね。
                      たぶんこれからは大丈夫のような気がするんです。」

                      お母さんは、一気に話すと、ちらっと窓の外を見た。
                      窓の外では、まんさくの黄色い花がまだ咲いていた。
                      ラジオは、サイモンとガーファンクルの「明日に掛ける橋」を流していた。

                      マンサク

                      Sさんの遺影は、明るくほほえんでいた。
                      君はまったくこの震災をしらないんだよな、と心の中で声を掛けた。

                      Sさんの家を去るとき、
                      お母さんはいつまでも車に手を振っていた。
                      地震さえなければ、なんということもない春の田園風景が広がっていた。




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