原子力 負の遺産 さらに

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    原子力 負の遺産について、もう少し。

     

    この本の中で明らかなのは、

     

    ヽ砲離乾澆蝋圓所がない

    ■隠伊年先の人類にまでその付けを押し付ける

    にもかかわらず政府は原発をやめるつもりがない

    い修靴討泙箸發糞掴世ない

     

    ということだろうと思います。

    もちろん、ざっくりしとした内容のとらえ方ですが。

     

    で、思うのが、今朝の福島民報のように

    汚染水処理の問題。

    これももはやどうしようもなくなっている問題。

     

    トリチウム汚染水を海洋に流出しても問題ない

    というのであれば、

    それを東京湾に持っていって流せばいいんじゃねえか、

    というのが私の感覚ですけれど、

    そうじゃないということは、

    やっぱり地方に押し付けるということでしょうね。

    そしてそれをお金で解決しようというんでしょう。

    そのお金は当然電気代に加算されている。

    たぶん、そういうことだと思います。

     

    それから、先日、除染なしの帰還困難地の解除、

    というニュースも流れ、

    当然、地域の自治体はそれに反対したわけですが、

    賛成している自治体=飯舘村も存在するわけで、

    これなどは、政府からすれば、

    いいカモなんじゃないかな。

    全国の核のゴミをばんばん持ってくることができるわけで。

     

    飯舘村なんか、ただでさえ核のゴミ置き場ですよ、今。

    もう、それを自ら自認しちゃうしか生き延びる道はない

    ということのように思えますけれどね。

     

    もちろん、これは推測憶測ですが、

    この「原子力 負の遺産」を読むと、そのからくりが

    納得できると思います。

     

    今からでも、ぜひ。

     

    飯舘村はこんな感じですよ。

     

     


    忘れ去られて

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      6月3日(水)朝日新聞

       

      除染せずに避難解除をする方針を政府が考えていると報じています。

       

      ついにここまで来たか、という感じ。

       

      棄民政策もここに極まれり、という印象。

       

      ただ記事を見ると、飯舘村がそういう要望をしてたようですね。

       

      結局、ひどく汚染しているところには住民は戻らない。

      その一方、汚染線量は年々低くなっている。

      自然に、年間20ミリシーベルトを下回る地域も増えてきている。

      (ただ、20ミリシーベルトって、異常な基準ですよ。

      本当なら、年間1ミリシーベルトじゃないとだめです。)

      それならわざわざ除染などしないで、

      ほかになんか活用できることがあるだろう。

      そう要望したようですね。

      国としたって、高いお金を払って除染しても人が戻らないのでは

      無駄だということはわかっている。

      金を払うのではなく、そこから金を儲けたほうがいい。

      じゃ、除染はやめ、どうせ人が来ないんだから解除。

      なんかいい活用方法あったら、ぜひよろしく。

      そういうことじゃないですかね。

       

      そして、こういう状況についていけない住民は、

      もうすでに村外に定住してしまっている。

      どうせ住まないのだから、もう勝手にせえ、ということなのか、

      とてもついていけない、なのか、

      ますますフクシマは置き去りにされてゆく

      という状況だなとしみじみ思いました。

      そしてその忘れ去られてゆく中で、

      国や自治体の思惑が幅を利かせているんだろうな

      という印象も。

       

      原発事故→ひどい汚染→住民避難→除染

      →除染困難→避難長期化→村外定住→

      何とか除染進む→少数帰還→除染継続

      →除染しても帰還相変わらず少なし→

      自然に20ミリシーベルトを下回るところも

      →除染しても帰還しないんなら除染って無駄じゃね

      →そうだそうだ→除染せずに解除すっぺ

       

      という感じですかね。

       

      ほんとに棄民のなれのはてというのはこうなるんだなと。

       

      ところで、人が仮に住めるようなった、といっても

      飯舘村にはこんな風景が目の前に広がっています。

       

      除染土の山、山。

       

       

       

      そして、線量計。

       

      0.5マイクロシーベルトですよ。

      ふつうは、0.05〜0.09くらいであってほしいですね。

      0.23マイクロシーベルトあると、危険だと思います。

      それが0.5だしね。

      そもそもこういう状態だって、帰還困難だと私は思います。

       

       

      私個人は、飯舘村が村民に向けて帰還しようということ自体に

      無理があると思っています。

      この汚染状況は、もう人間がどうすることもできないレベル。

      帰還を進めることで、かえってこの村が忘れ去られてゆくのでは

      と思います。

       

      国は、そもそも責任なんか取るつもりないから、

      除染しないで済むのなら、ありがたい話ということになるでしょう。

       

      でも、原子力政策の結果がこれでは、

      いったいあの事故から私たちは何を学んだんでしょう。

      表向きは復興したことになり、

      実は国の思うつぼにはまっている、

      ただそれだけのことではないかなあ。

       

      というわけで、3月に飯舘村を見て作った俳句。

      どぞ。

       

      ほんと昨日の記事、腹が立つ。

       

      飯舘村の田んぼなんかも、

      汚染土の再利用だったりするんじゃないのかなあ。

       

      ほとんど実験台です。

       

      広島原爆の後のABCCみたいなものですね。

       

       


      今日の朝日歌壇

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        今日の朝日歌壇

         

        コロナウイルスに関わる作品の中に

        ぽつんと原発事故関連作品が。

         

        飯舘村に行ったときの光景が

        俳句にならず、

        まずは短歌にしてみました。


        飯舘村の実態を見るとオリンピックがまやかしだとわかる

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          某月某日

           

          飯舘村に行ってきた。

          ニュースでは見えないものがそこにはあった。

          こんな事実があらわになっているのに

          なぜそれが報道されないのか。

          不思議でならない。

           

          飯舘村に入るとまずこんな感じ。

          田んぼの中に、でんと除染土が居座っている。

           

          ちょっと道を逸れ、村役場の方に進んでみる。

          村役場の近くに老人ホームがあって

          そこのすぎちかくにこんなに除染土の山。

          老人ホームの近くならいいのか?

           

          あいの沢という休憩所があるので、そっちの方に少し足を伸ばす。

          線量計があるので見てみると、0.40マイクロシーベルト。

          事故前は、0.05マイクロシーベルト。

          まだ8倍もあるんですね。

          せめて、0.1台であってほしいんですが。

          そしてこういう表示が幹線にはなくて、脇道に出てくるという事実。

          いかに、被曝を低く見せているかということ。

          この0.08は、道の駅の表示。

          こういうところでは低い数字が出ているの安心させている。

           

          でも、脇道になると、0.51。

          これは全然元に戻っていませんね。

          除染はしたんでしょうけれど。

          あんなに除染土が積み上がるくらいやったはずなのに、

          これですもんね。

          これは幹線沿いの線量計。

          0.312

          ちょっと高い。

          ただ、この数字表示の向きが大事。

          幹線に対して背中を向けていて、

          道路側からはこの数値が見えないように立っている。

          通る人に心配を与えない

          というか隠そうということですね。

          まあ、そういうことが平然と行われているんですね。

           

           

          廃校寸前の学校。

          グラウンドに松の木が生え始めている。

          ビニールハウスの残骸。

          図書室の残骸。

           

          花壇に勝手に咲いていたクロッカス

           

          いずれにしても、回復不能なものばかり。

           

          こういう状態がいたるところに残されていて

          なんで復興なんだろう。

          なんでオリンピック?

           

          コロナウイルスで延期にはなったけれど

          そもそもオリンピックを開催することが罪なことだと思う。

           

          東京の人たちは、今たいへんだろうけれど、

          この状態にさせられていまだに回復していない土地

          そして棄民状態にさせられている人々のことを想像して欲しい。

           

          ほんと、オリンピックなんてまやかしに過ぎないと思いますよ。


          好天の福島 しかし

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            某月某日

             

            好天の福島の朝。気持ちのいい青空が広がっていました。

             

            が…。

             

            真ん中あたりに見えるビニールシートは、

            除染で出た放射性廃棄物つまり除染土ですね。

             

            福島市内ではほとんど撤去され、

            こういうシートで覆われたものはみられなくなりましたが、

            まだ郊外に出ると、目にすることがあります。

            表通りからはほとんど見えないのですが、

            ちょっと裏道に入ると、これですからね。

             

            まだまだ福島は「フクシマ」です。

             

            こういう影の部分は、こんどの聖火リレーで、

            しっかり隠されているそうです。

             

            まだ復興していないと、危険だと、思われたくないんでしょうね。

             

            姑息な、というか、せこい、というか。

             

            まずは現実から、影の部分から目をそらすな、

            と言いたいものです。

             

            追伸

             

            このところどうしてもやらねばならない仕事があったので、

            更新をサボっていました。あしからず。


            ちょっと古い本ですが、宣伝

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              古い本ですが、ちょっと宣伝。

               

              原発事故の裁判、非常に疑問にのこる判決でした。

              思わず怒りに打ち震えてしまいましたが、

              気を取り直して、かつて自分が書いたものを読み返してみました。

              わすれかけていたこともあり、

              もう一度原点に立ち返る思い。

               

              考えてみれば、あのころは妻子を避難させて、

              二重生活でしたからね。

               

              もしよろしければ、ぜひ。

               

              何かひとつでも思い出しよすがとなる言葉があれば嬉しいです。


              全員無罪 東電原発事故 そして憲法

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                https://mainichi.jp/articles/20190919/k00/00m/040/102000c?fbclid=IwAR3ZPU9XxdkwJot42ghGCt9itK7-SV92328ROLDywyCgoNdFNyu8-if0vD0

                 

                しかしですねえ、東電の原発事故裁判、全員無罪ですからねえ。

                あれだけの事故を起こしておきながら、

                当時14万人の避難者を路頭に迷わせておきながら、

                多くの人たちに健康被害の心配を今でもさせておきながら、

                いまだに除染土壌の撤去ままならず、

                その処理の行方も見えず、

                全国各地では原発再稼働、

                汚染土壌も再利用しようとし、

                自然エネルギーは都合よく制限し、

                絶対につぶれない、

                絶対に裁かれない

                そういうポジションをキープしているのだから、

                いい気なものだ。

                 

                もう、この裁判には、国が大いに関与しているとしか考えられないが、

                それにしても、ひどいもの。

                わかっちゃいたけれど、

                この国の劣化ははなはだしいね。

                 

                思うのだけれど、

                これじゃあ原発事故、

                またどこかで起きると思う。

                こんなにおごり高ぶり、

                こんなに反省しない、

                反省するつもりのない国には、

                未来はないよ。

                 

                絶望したくなるけれど、

                とにかく、今はこうだとしても、

                なんとかして個人として抵抗していきたいものです。

                 

                まずは、

                国家や大企業は、

                かならず個人を食いつぶす、

                そういうものだということを肝に銘じよう

                 

                そして、個人を守ってくれる

                憲法

                これをしっかり守りたいものです。

                 

                 


                人口減少と原発

                0
                  某月某日


                  人口減少社会、というのがこのところの話題です。

                  http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38439

                  地方の消滅と産業の空洞化、さまざまな問題があります。

                  でも、ふっと思ったのですが、
                  人口がこれから少なくなり、エネルギーの消費が当然減少するわけですから、
                  原発によるエネルギーに頼らなくてもなんとかなる社会というのは実現するんじゃないでしょうかね。

                  もちろん、これにはとくに数字的な根拠はなく、単なる直観です。

                  でも、LED電球がこれから普及してくるだろうし、
                  自然エネルギーやさまざまなエネルギーの生産方法が開発されてくるはず。
                  かつ人口減少。

                  もちろんマイナスも多いのだろうけれど、
                  逆にそこに可能性というのも見えてこないだろうか。

                  繰り返すけれど、これには何の根拠もありません。

                  でも、人口が減ればエネルギー消費も減少し、
                  原発はますます必要なくなる。

                  この方向には間違いないと思うんだけれど。

                  もし、人口が減るのにエネルギー消費量が増えるのだとすれば、
                  なにか日本人の考え方そのものが間違っていると思うのですが。

                  このような人口減少社会に向けた準備への知恵を
                  いろんな国々ともし共有することができれば、
                  とてもすてきな国際貢献になると思いますけれどねえ。

                  そういうことって無理なのかな。

                  そんな素朴な疑問です。

                  というわけで、今日はこんなところで。
                   

                  忌野清志郎の話題

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                    某月某日


                    5月に入って、忌野清志郎の話題がメディアに載った。

                    まずは朝日新聞の「声」欄。
                    一般の方が、反原発のあの歌を歌った清志郎に敬意を払っていた。

                    続いて、NHKテレビ。
                    爆笑問題の太田光がやはり清志郎の、
                    政治的な発言をしたり、
                    社会的な発言をしたりする姿勢を探る、
                    そういう番組を放送していた。

                    両方とも、それはそれで意義のあることだと思う。

                    のだが、なぜ、今?とも思う。

                    なぜ、震災が起きた3年前に、あのときすぐに話題にならないのか?

                    メディアは、話題にさせることができなかったのだろうと思う。

                    このブログでも、幾たびとなくyoutubeを貼り付けて、
                    こんな予言をしていた人がいるんだよと
                    清志郎のことばや表現を知らしめていたのだけれど、
                    大手メディアはいっさい無視していた。

                    それが今になって…

                    それが3年経つということなのだろうか。
                    今ならたいして問題にならない
                    普通の人たちももう忘れかけている

                    そういうことなのだろうか。

                    だとしたら、ほんとうにメディアというのはいい加減。
                    そしてこういうふうに、私たちの考えはコントロールされていくのだろうか?
                    コントロールされていることにも気づかず。

                    これじゃ、秘密保護法も当然危険な方向に流れていくはず。
                    (ただでさえあぶないのだから)
                    そして、憲法もますます危険な状況になるだろう。

                    忘れているんじゃない
                    忘れさせられている

                    良心のように見えるけれど、
                    良心でも何でもなく、
                    良心であるように見せかけているアリバイ作りなんじゃないのか
                    とさえ思う。

                    もっと普通の人たちが賢くならなくちゃと思う。

                    テレビやメディアをもっと疑わなくちゃね。


                     

                    京都から

                    0
                      某月某日


                      京都からセールスの方が来て、ひとしきり仕事の話をしたあと、
                      こんなことを言われた。

                      「いや、たまたま京都新聞見てたら、載ってましたね。読みましたよ」

                      これは、以前共同通信社の方が私のことを取材してくれて、
                      仕事のことやら福島のことやらを取材していただき、
                      福島に住む不安や不条理を記事にしてもらったことをさしているんですね。
                      とはいえ、もう一月前くらいの話だから、こっちも忘れかけていた。

                      「ああ、あれのことですね」

                      それにしても、福島での本音というものが、
                      福島では語られないというのはどうなんだろう。
                      福島で起きていることが遠いところで記事になり、
                      福島では決して記事にならない。
                      ばかりか、原稿への注文もうけた。
                      不安をあおるような文には、必ずチェックが入る。
                      風評被害を防ぐためのようである。

                      しかし、ありのままをありのまま表現できない。

                      完全に表現がコントロールされている。

                      というようなことをそのセールスの方に話したら、
                      非常に驚いていました。

                      「福島では、掲載されていないのですか〜。」

                      そして不思議がっていました。

                      それにしても、福島のマスコミが福島のありのままを伝えなくてどうなの?
                      っておもうけどね。

                      こんなんだから、事故が起きるんだって思うよ。



                       

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